この記事の目次
和賀江嶋とは
和賀江嶋(わかえのしま・わがえじま)は、材木座海岸の東南の端、逗子市との市境にある鎌倉時代の遺跡です。東国の貿易の拠点として鎌倉時代に建設された現存する日本最古の築港遺跡であり、国の史跡に指定されています。
材木座は遠浅の海で難破・破損する船が多く、九州筑前で港を築いた実績のある往阿弥陀仏(おうあみだぶつ)という僧が、1232年(貞永元年)、船着場としての築島を幕府に申請しました。
3代執権北条泰時はこれを受け入れ、相模川や酒匂川、伊豆などから運んだ石を積み上げておよそ1か月で完成したそうです。
和賀江嶋へ行ってみよう!
鎌倉駅からは飯島バス停で降りて歩くことになりますが、一つ手前の光明寺バス停で降りて光明寺を訪問するのもお勧めです。
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飯島バス停からバス通りを道なりに歩き、国道134号線をくぐると和賀江嶋の石碑があり、目の前に材木座の海が広がります(上の写真)。
和賀江嶋へ降りてみた
ちょうど干潮時だったので、丸石が河原のように現れています。海岸に降りて丸石の上を歩いてみましょう。
東に目を向けると、江の島が見えています。空気が澄んでいれば富士山の姿を見ることも出来ます。
干潮時には磯遊びを楽しむことも出来ます。運がよければ古い陶器の破片を見つけることが出来るかもしれません。
和賀江嶋の碑が建っている大きな岩があります。この岩は、亀の子岩または「てんがしま」といわれる岩で、以前は回り一面が海で、この岩一つだけが島になっていたそうです。
よじべえ石
昔この付近の海の沖で、漁に使う網が切れたり子どもが海に引き込まれ命を落とす魔の場所がありました。
大正関東地震で海底が隆起し海底が現れると、魔の場所に畳三条敷きもの大きな石が現れ、網が切れたり子どもが海に引き込まれるのはこの石が原因だったことがわかりました。
このまま石を放置するとまた災いが起きるかもしれないということで村人たちが石を引き上げました。その石は、現在は鶴岡八幡宮の流鏑馬道の西の公衆トイレの前にあります。
和賀江嶋への交通アクセス
JR鎌倉駅東口7番バス乗り場から「小坪経由逗子駅」行きで「飯島」下車徒歩約3分
鎌倉十井のひとつ 六角ノ井
六角ノ井は和賀江嶋からすぐ
和賀江嶋の近くに鎌倉十井のひとつ、六角ノ井があります。和賀江嶋左手の壁に階段がありかつてはこの階段を登って六角ノ井に行くことが出来ました。
この階段は老朽化により現在では使用禁止となっているため、いったんバス通りに戻ってから行くことになります。
鎌倉十井(かまくらじっせい):江戸時代、水質に恵まれない鎌倉の土地において、質の良い水が湧き出す井戸は貴重な水源でした。鎌倉十井とは、水質も良く美味で、伝説やいわれが残る鎌倉を代表する十の井戸のことです。
江戸時代に鎌倉遊覧が盛んになり、名所旧跡を名数を使って紹介したのがはじまりといわれています。
鎌倉市観光協会公式サイトから引用(一部改変)
六角ノ井
以前は木製の小屋が建っていた六角ノ井ですが、2019年の台風被害のためにブルーシートが張られています。
井戸そのものは八角形ですが、そのうち二角が小坪(逗子市側)分、六角が鎌倉分ということで、六角ノ井という名前が付いたそうです。
六角ノ井の伝説
伊豆大島に流された源為朝(ためとも)(頼朝の叔父)が、光明寺裏山の天照山めがけて放った矢がこの井戸に落ち、そのやじりが残った伝説から「矢の根の井」とも呼ばれており、やじりは今も竹筒に封じて井戸の中段に祭られています。
鎌倉市公式サイトから引用
源為朝(みなもとのためとも)は、弓矢の名人であったものの、1156年(保元元年)に起こった保元の乱で敗れ、自慢の弓を引けないよう腕の筋を切られて伊豆大島に流されてしまいました。
しかし、為朝は、腕の筋を切られても自分にどれくらいの力が残されているか試してみたくなり、伊豆大島から鎌倉の光明寺裏山にある天照山めがけて矢を放ったところこの井戸に落ちたとの言い伝えがあります。
六角ノ井への交通アクセス
JR鎌倉駅東口7番バス乗り場から「小坪経由逗子駅」行きで「飯島」下車徒歩約5分
鎌倉観光文化検定対策
鎌倉観光文化検定公式サイトに過去問の記載がある第11回(2017年度実施)以降の鎌倉観光文化検定(以下、「鎌倉検定」)2級および3級の出題の中から、和賀江嶋と六角ノ井について、出題状況や傾向を検討します。
2020年度・2021年度の鎌倉検定は中止となっていますのでご留意ください。
傾向と対策
出題傾向としては、和賀江嶋については、史跡の名前や場所を問うもの、六角ノ井については、井戸の名前や、2級では穴埋め問題として井戸の名前とこの井戸に関する人物の名前を問うものがあります。
- 現存する日本最古の築港遺跡を何というか(第11回・3級)⇒正答:和賀江嶋
- 源為朝の伝説が残る材木座から小坪に抜ける海際の道にある鎌倉十井の1つは何か(第11回・3級)⇒正答:六角ノ井
- 3代執権北条泰時に願い出て往阿弥陀仏が和賀江嶋を築いたのはどこか(第12回・3級)⇒正答:材木座
- 材木座と小坪の境界にある①〇〇には、弓の名手である②〇〇が伊豆大島から射た矢がここまで届いたとの伝説がある(第11回・2級)⇒正答:①六角ノ井②源為朝
和賀江嶋と六角ノ井のまとめ
- 和賀江嶋は、材木座にある現存する日本最古の築港遺跡
- 往阿弥陀仏という僧が3代執権北条泰時の許可を得て造営
- 干潮時には丸石が現れ磯遊びも楽しめ、江の島や富士山も望める。
- 和賀江嶋近くにある鎌倉十井のひとつ、六角ノ井には、源為朝にまつわる伝説が残る。
いかがでしたでしょうか。和賀江嶋と六角ノ井の概要についてひととおりまとめましたが、もしも気になるようでしたらお出掛けされてはいかがでしょうか。
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更新状況
- 2021年8月20日:記事掲載
参考文献
- 鎌倉市公式サイト
- 公益社団法人鎌倉市観光協会公式サイト
- 鎌倉観光文化検定公式テキスト
- 鎌倉観光文化検定公式サイト(鎌倉商工会議所)
- 「としよりのはなし」鎌倉市教育委員会編