鎌倉に残る唯一の尼寺、英勝寺。冬のウメやツバキ、秋のヒガンバナに代表される四季折々の花や、重要文化財の建物群、また、江戸城築城で知られる太田道灌や水戸徳川家ゆかりの寺として見どころ満載です。
更新状況
- 2024年2月24日:「侘助」が鎌倉市指定天然記念物の指定解除となったことを記載
- 2022年4月16日:3月に撮影した写真を追加(ウメ、ツバキ、唐門の欄間彫刻、やぐら、開基の供養塔)、覚園寺へのリンクを設定、ページ構成を一部変更(「英勝寺の花」という項目を追加)
- 2021年11月17日:浄光明寺へのリンクを設定
- 2021年10月22日:記事掲載
英勝寺とは
英勝寺は、鎌倉駅西口から横須賀線沿いに15分ほど歩いたところにある浄土宗の寺院です。山号は東光山、1636(寛永13)年に水戸家初代徳川頼房(よりふさ)の娘、玉峯清因(ぎょくほうせいいん)を開山とし、江戸城築城で知られる太田道灌の子孫である英勝院尼が開基となっています。
英勝院尼は、もとの名前をお梶(のちに「お勝」)といい、徳川家康の側室となり女児をもうけたものの、娘が早世したため、のちに家康の十一男(上記の徳川頼房)の養母となりました。
家康の死後は出家して英勝院尼を名乗り、徳川三代将軍家光から受け継いだ太田道灌の土地に英勝寺を建立しました。
その後英勝寺は水戸家の姫君が代々住職を務めたため、「水戸御殿」「水戸様の尼寺」などとと呼ばれました。ドラマ「水戸黄門」で知られる水戸第二代藩主徳川光圀は、1674(延宝2)年5月金沢・鎌倉方面の史跡名勝を歴訪した際に、英勝寺に7日間滞在し、「鎌倉日記」を著しました。
その後家臣に命じて鎌倉一帯の社寺等を精査させ、「新編鎌倉志」としてまとめられましたが、その際の調査執筆の根拠地も英勝寺でした。
英勝寺を散策しよう
境内へは通用門から
鎌倉駅西口から歩き始め、鎌倉五山第三位の壽福寺前を通過し右手に横須賀線の線路を見ながら進むと、まもなく左手に英勝寺の総門が見えてきます。
この総門は普段は閉ざされており「英勝寺入口この先60m⇒」との案内があります。現在の総門は二代目で、初代総門は近くにある浄光明寺移築され、現存しています。一角には「太田道灌邸旧蹟跡」の石碑も立っています。
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築地塀沿いに暫く歩くと通用門があります。門扉には徳川家の三葉葵が緑色でかたどられ、その中央にには太田家の桔梗紋が黄色くあしらわれています。
右の門柱には山号の東光山、左には英勝寺の文字が書かれており、右側の三葉葵の斜め上に見ごろの花の表示があります。英勝寺に行く予定がなくても、その日の見頃の花を確認してふらりと立ち寄るのもよいかもしれません。
拝観受付で拝観料を納めて境内に入ります。通用門から入ったので本殿である仏殿の裏面に当たり、また、赤く広がるヒガンバナも気になるとことですが、いったん仏殿の横を通り過ぎて山門をくぐります。
東国花の寺百ヶ寺
英勝寺の拝観受付には「東国花の寺百ヶ寺」と書かれた標札があります。関東1都6県の「花の寺」を称する寺院が、宗派の垣根を超え、人々の心に花を咲かせてほしいとの願いで結成されたものです。
英勝寺山門付近
英勝寺山門は、1643(寛永20)年に讃岐高松藩主松平頼重(徳川光圀の兄)により寄進されたもので、上記写真の扁額は、後水尾(ごみずのお)上皇の手になる物です。扁額の周りの木組も機能的な美しさを見せており、見どころのひとつとなっています。
1923年、関東大震災を引き起こした大正関東地震により倒壊し、市内の他所に移されていましたが、2001(平成13)年に英勝寺に戻った山門は、2011(平成23)年に現在の場所に再建されました。
2013(平成25)年8月には国の重要文化財に指定され、現在に至っています。
山門左手の階段を登ると、太子堂という小さな石造りの祠と、聖観音像があります。また、階段下左側には洞窟の入り口があります。この洞窟はほんの10メートルほどの長さで内部には小さな石像が安置されています。
また、ここからは祠堂(しどう・後述)の裏側にあるやぐらの様子を見ることもできます。
見どころの多い仏殿
山門をくぐって本堂である仏殿前に進みます。正面の小窓から内部を見ながらお参りをしましょう。天井には天女や鳳凰などの豪華な絵画が描かれています。
仏殿の軒下の蟇股(かえるまた)には、まるで仏殿内の仏様を守るかのように十二支の浮彫が施されています。自分の干支の彫刻を探しながら仏殿を一周するのも楽しみの一つです。
英勝寺の建築物の特徴
英勝寺の建築物は、禅宗様と和様を自由に組合せた江戸時代前期らしい意匠を持ち、屋根の弛みも軒の反りもつけない直線的な屋根形状で統一しています。仏殿を始めとして山門、祠堂、祠堂門、このあとに出てくる鐘楼の5つの建築物が国の重要文化財に指定されています。
英勝寺仏殿正面木戸下部の落とし鍵には蝉型の金具が設置されています。これには「セミを驚かさないように静かにお参りしましょう」という意味があるそうです。気を付けて見ないと見落としてしまいそうですね。
また、金具のハート形の穴は「猪目(いのめ)」という意匠で、イノシシの目の形に似ていることからその名があり、西洋からハート形が入ってくる以前から神社・仏閣の建築意匠などで用いられているものです。
浄明寺にある一条恵観山荘でも猪目の意匠のベンチを見かけました。よろしければ下記リンクを参照してください。
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祠堂(しどう)と祠堂門(唐門)
仏殿に向かって左側に小さな門があります。この門は祠堂門(唐門)といい、小振りな門ですが重要文化財に指定されています。欄間のボタンの彫刻など小さいながらも造りは精巧です。
階段を上がると祠堂があります。祠堂は英勝院尼の墓所の手前にある建物で、手の込んだ彫刻が施された総金張り極彩色の霊廟建築です。
現在は鞘堂(さやどう)と呼ばれる覆い堂の内部にあり、ガラス越しに見ることができるますが、残念ながら細かいところはよくわかりません。
祠堂前から階段を降りて仏殿の脇を歩きます。白いヒガンバナや水鉢にはスイレンの花も見ることが出来ます。突き当たりに来たら左に進みましょう。
英勝寺にはかつて祠堂金を扱う役所である「会所」がありました。お金を持っている人が会所にお金を預け、お金が必要な人はその役所からお金を借りるという、今でいう金融会社や銀行のような役割を果たしていました。
借りた方は英勝寺のご威光のためにいい加減なことは出来ずどうしてもお金を返さなければならず、お金持ちは自分の金を直接人に貸すことによって踏み倒されることがなく済んだそうです。
そんな会所も「ご一新(明治維新)」で徳川の権威がなくなると、英勝寺もご威光が効かなくなり、預けた金を踏み倒され、財産を減らした例があったそうです。
報国寺と並ぶ美しい竹林そしてお抹茶
報国寺と並ぶ美しい竹林
鎌倉の竹林といえば浄明寺の報国寺が有名ですが、ここ英勝寺にも報国寺と並ぶ美しさを誇る竹林があります。木製の門をくぐり竹林をひと回り歩きましょう。竹林入り口近くには金刀比羅宮もあります。
竹林を歩くと、竹の葉のわずかな隙間から太陽の光がきらきらと差し込みます(上の写真)。竹林の間からはこれから向かう書院の建物も見えています。
金刀比羅宮付近からは、開基である英勝院尼の墓とされる供養塔の様子を見ることも出来ます(祠堂の裏にある)。
疲れたらお抹茶で一服
竹林から出たら書院の前に進みます。書院では時期により抹茶を楽しむことが出来ます(500円)。美しい庭を見ながらいただくお抹茶はまた格別のものがあります。
書院前には白フジの藤棚があります。春には白い房が下がり、クマバチが蜜を求めて集まってきます。
重要文化財の鐘楼
真っ赤に咲き乱れるヒガンバナの間を歩き進むと、その先に本日最後の重要文化財の建物である鐘楼があります。
山門や仏殿と同じく直線的な屋根をいただき、下部は袴腰(はかまごし)とよばれる覆いによって内部が見えなくなっています。尼が鐘を打つことを考慮して、鐘は外から見えないようになっています。
これでひととり英勝寺境内を歩くことになりました。あとは散策するもよし、ヒガンバナなどの花を観賞するもよし、時間の許す限り英勝寺を満喫しましょう。
帰る際には通用門近くにあるお地蔵さんにひとことごあいさつをしてから外に出ました。
英勝寺の花
鎌倉唯一の尼寺である英勝寺は、東国花の寺百ヶ寺に選ばれている花の寺。四季折々の花たちが私たちの目を楽しませてくれます。
冬 ウメ・ツバキ(侘助)
本堂横に咲く白梅
本堂を背景に白梅が美しく咲きます。
ツバキの名木「侘助」
鞘堂(内部に祠堂)前には、覚園寺の太郎庵と並ぶ鎌倉のツバキの名木、「侘助」があります(いずれも鎌倉市指定天然記念物)。
侘助は枯死したことが確認されたため、2024年(令和6年)2月15日付で鎌倉市天然記念物としての指定が解除されました。
覚園寺については下記のリンクを参照してください。
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秋 ハギ・ヒガンバナ
ハギ
英勝寺のハギは、書院の先にある階段を降りた右側にあります。鎌倉にはハギの名所がたくさんありますが、ここ英勝寺でもハギの花を楽しむことが出来ます。
ヒガンバナ
鎌倉でヒガンバナといえば真っ先に思い浮かぶのが英勝寺です。9月の中旬ともなると、鐘楼から本堂脇の通路両側にかけてヒガンバナが一面に咲き広がります。
鎌倉観光文化検定対策
鎌倉観光文化検定公式サイトに過去問の記載がある第11回(2017年度実施)以降の鎌倉観光文化検定(以下、「鎌倉検定」)2級および3級の出題の中から、英勝寺について、出題状況や傾向を検討します。※問題文は一部改変しています。
2020年度・2021年度の鎌倉検定は中止となっていますのでご留意ください。
傾向と対策
出題傾向としては、太田道灌や徳川光圀との関連を問うものや、英勝寺の名花であるツバキの「侘助」のことを問うものなどがあります。
- 江戸城を初めて築いたことで知られる太田道灌の旧居跡に建立された寺はどこか(第11回・3級)⇒正答:英勝寺
- 1674(延宝2)年に徳川光圀が鎌倉入りした際に宿舎として利用した寺院はどこか(第11回・3級)⇒正答:英勝寺
- 現在では鎌倉唯一の尼寺となった英勝寺は代々ある家の姫君が住職を務めたため、何と呼ばれていたか(第12回・3級)⇒正答:水戸御殿
- ツバキの名花「太郎庵」、「侘助」が植えられている寺院の組み合わせとして正しいものはどれか。(第12回・2級)⇒正答:覚園寺「太郎庵」、英勝寺「侘助」
英勝寺のまとめ
- 英勝寺は、鎌倉駅から徒歩15分ほどのところにある、太田道灌や水戸徳川家ゆかり、鎌倉唯一の尼寺
- 山門、仏殿、祠堂、祠堂門そして鐘楼の5つの建物が国の重要文化財に指定
- ウメやヒガンバナなどの季節の花や報国寺と並ぶ美しい竹林など、見どころ豊富
- 日本遺産「いざ、鎌倉~歴史と文化が描くモザイク画のまちへ~」の構成資産
いかがでしたでしょうか。英勝寺の概要についてひととおりまとめましたが、もしも気になるようでしたらお出掛けされてはいかがでしょうか。
交通アクセス
鎌倉駅西口から徒歩およそ15分
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参考文献・関連リンク
- 英勝寺(鎌倉観光協会公式サイト)
- 鎌倉観光文化検定公式テキスト
- 鎌倉観光文化検定公式サイト(鎌倉商工会議所)
- 文化遺産データベース
- 深く歩く 鎌倉史跡散策(上) 神谷道倫著 かまくら春秋社
- 「としよりのはなし」鎌倉市教育委員会編