「鎌倉大仏」として広く親しまれている高徳院は、江ノ電長谷駅から徒歩およそ7分、鶴岡八幡宮と並ぶまさに鎌倉の象徴といえる寺院です。今回はこの高徳院についてご報告します。
更新状況
- 2023年3月18日:写真追加⇒拝観受付、左右の銅製灯籠、大仏の顔のクローズアップ、大仏の背中と胎内、蓮弁、句碑など
- 2023年3月12日:記事掲載
高徳院とは
高徳院は、江ノ電長谷駅から徒歩およそ7分、鎌倉市長谷にある浄土宗単立系の寺院です。正式名称は大異山高徳院清浄泉寺(だいいざんこうとくいんしょうじょうせんじ)といい、鎌倉の象徴ともいうべき鎌倉を代表する寺院の一つです。
本尊は銅像阿弥陀如来坐像。鎌倉の仏像では唯一国宝に指定されていますが、その正確な造立時期も不明であり、高徳院の開山、開基ともに不明と謎の多い寺院です。
奈良の大仏が仏教の力で国を治めるために天皇の命令で造られたのに対し、鎌倉の大仏は民衆の浄財を集めて造られたといわれています。
13世紀の中頃、浄光房という僧侶が各地を回って勧進(募金活動)を行い、1238年(歴仁元年)に着工、当初は木像でした。1243年(寛元元年)には阿弥陀如坐像を安置した堂舎が完成し、良信僧正が供養を行ったとされています。
1195年(建久6年)奈良東大寺再建供養会に参列した源頼朝が鎌倉にも大仏建立を発願(ほつがん)したものの果たせず亡くなり、頼朝に仕えた稲多野局(いなだのつぼね)がその意志を継いで尽力し、浄光房が造立したとの伝承もあります。
1252年(建長4年)には現在の青銅像の鋳造が始まったと、鎌倉幕府が編纂した歴史書である「吾妻鏡」に記録がありますが、完成年月は吾妻鏡にも記載がなく不明です。
1334年(建武元年) および1369年( 応安2 年)の大風と、1495年(明応4年)(または1498年明応7年)の地震の際に発生した津波により大仏殿などが破壊されたとされています。
その後は荒廃が進み、江戸時代や大正関東地震(関東大震災)後、そして昭和や平成の各時代にも修理が施され、現在に至っています。
高徳院は、鎌倉三十三観音(23番札所)の対象地にもなっています。
高徳院を散策しよう
境内案内図:高徳院公式サイトから引用
バス通りから仁王門へ
江ノ電長谷駅を出たら北の方角に歩きます。長谷寺前の信号を渡り暫く歩くと、右側に高徳院の入り口があります。
長谷寺や鎌倉大仏で有名な高徳院など鎌倉でも人気のこの界隈。道路脇には飲食店やみやげ物の店が並び、歩道はいつも大混雑です。
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朱塗りの仁王門には、高徳院の山号である「大異山」と記された扁額が掲げられています。この門は内部の仁王像とともに、18世紀の初めに他の場所から移築されたものといわれています。
仁王門をくぐると左側に券売所があるので、ここで拝観料を払って中に入りましょう。
区分 | 拝観料 |
---|---|
一般、中学・高校生 | 300円 |
小学生 | 150円 |
大仏胎内の拝観料 | 50円 |
券売所から手水舎そして大仏前へ
券売所を過ぎると手水舎があります。ここを右に進みすぐ左へとクランク状に歩くと、正面遠方に大仏の姿が見えています。
手水舎左手の通路は「バリアフリールート」となっています。車いすを利用している方や階段を上るのが困難な方はバリアフリールートを進むとよいでしょう。
大仏に向かって左側には「国寶鎌倉大佛」と刻まれた大きな石柱があります。階段を上ると一対の銅製の灯籠があります。
1703年(元禄16年)の大地震で大仏そのものが傾き荒廃していたのを、1712年(正徳2年)に祐天と養国が、江戸浅草の豪商野島新左衛門泰祐の金銭面での支援を受けて再興しました。
ここにある一対の銅製の灯籠は、野島新左衛門が1712年(正徳2年)に寄進したものです。
野島新左衛門は中興開基とされ、寺名に「高徳院」を称するのはその法名によるといわれています。
注目は右の頬
鎌倉大仏の正面にやってきました。高さはおよそ約11.3メートル、重さはおよそ121トンという巨大な仏像で、鎌倉の仏像では唯一の国宝に指定されています。
鎌倉大仏は宋風の特徴を備えており、その特徴とは
- 肉けい(にっけい・頭の上の盛り上がった部分)が非常に低く大きい
- 顔の肉付きが少ない
- 前掲姿勢
であるといわれています。
また、体の肉付きや衣の紋様が写実的に刻まれている点は、慶派の作風があるともいわれています。
造立当初は全体に金箔が施されていましたが、今では大仏の顔右側のこめかみや頬のあたりにわずかに金箔が残されているのがわかります。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、大仏の表情を見て「東洋的微笑」と表現したそうです。
大仏背面と胎内拝観
大仏は左右と背後を「コの字」型の回廊に囲まれています。その回廊の壁面、大仏正面に向かって右側には巨大な藁草履が飾られています。
この藁草履は、常陸太田市松栄町に活動拠点を置く松栄(まつざか)子ども会によって奉納された、長さ1.8メートル、幅0.9メートル、重量45キロの大きな藁草履で、1951年に常陸太田市松栄町の子どもたちによって始められ、1956年からは3年に1度寄進されています。
大仏の背後に回ると、背中に銅製の扉があります。ここには内部の型や土などを運び出すための穴があり、この扉は1736年(元文元年)に建長寺の塔頭(たっちゅう)から寄進されたものです。
新型コロナウイルス感染症の影響で中止となっていた胎内拝観は、2023年3月1日に再開されました。
回廊の前には上部が平らで大きな石が並んでいます。これはかつての大仏殿の礎石で、ベンチ代わりにここに座って休憩している人もいるようです。
観月堂と与謝野晶子の碑
回廊をくぐって境内の奥に進むと、赤い前掛けをした石仏があり、その向こうには瓦屋根の建物があります。
これは観月堂という建物で、15世紀中頃、現在の韓国ソウルの朝鮮王宮内に建築されたと伝えられています。1924(大正13)年、当時の所有者の私宅から移築・寄贈されました。
鎌倉観音霊場23番札所の観音菩薩立像はこの建物内に安置されています。
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観月堂の右側には、与謝野晶子の歌碑があります。この歌碑は1952年(昭和27年)4月に大仏建立700年を記念して建立されたものです。
かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな 晶子
鎌倉大仏は釈迦如来ではなく阿弥陀如来ですが、与謝野晶子は「釈迦牟尼」と詠んでいます。
吾妻鏡の「建長四年八月十七日」の条では「深沢の里に金堂八丈の釈迦如来の像を鋳(い)始めたてまつる」の記事があり、この「釈迦如来」は誤記ではないかと考えられています。
与謝野晶子はもしかすると吾妻鏡に釈迦如来と記載されていることを知っていてあえて「釈迦牟尼」と詠んだのかもしれません。
いろいろある石碑・顕彰碑など
星野立子・飯室謙斉・金子薫園句碑
春の雨 かまくらの名も 和らぎて
飯室謙斉句碑は沢の近くの土手にあり近くには行けません。
金子薫園歌碑:寺々の かねのさやけく 鳴りひびき かまくら山に 秋かぜのみつ
星野立子は昭和期の俳人で、鎌倉とも縁が深い高浜虚子の次女です。高徳院境内にはこの星野立子の句碑も残されています。
大佛の 冬日は山に 移りけり 立子
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ジュニアス・リチャード・ジャヤワルデネ前スリランカ大統領顕彰碑
スリランカのジャヤワルデネ大統領は、1951年(昭和26年)のサンフランシスコ講和会議において、仏陀の言葉を引用した上で日本に対する賠償請求を放棄することを宣言しました。
この石碑はジャヤワルデネ大統領を顕彰して建てられたものです。
人はただ愛によってのみ憎しみを越えられる 人は憎しみによっては憎しみを越えられない 法句経五
高徳院境内にはそのほかにもタイ国王室関係者「お手植えのマツ」やいろいろな石碑があります。
近くの見どころ
鎌倉でも人気の長谷地区にはここ高徳院以外にたくさんの見どころがあります。詳しくは下記リンク先を参照してください
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ご朱印
今回はご朱印はいただいていません。
鎌倉観光文化検定対策
鎌倉観光文化検定公式サイトに過去問の記載がある第12回(2018年度実施)以降の鎌倉観光文化検定(以下、「鎌倉検定」)2級および3級の出題の中から、高徳院について、出題状況や傾向を検討します。※問題文は一部改変している場合があります。
2020年度・2021年度の鎌倉検定は中止となっていますのでご留意ください。
傾向と対策
(現在確認中)
高徳院のまとめ
- 高徳院は、江ノ電長谷駅から徒歩およそ7分のところにある鎌倉を象徴する寺院
- 本尊の銅像阿弥陀如来、通称鎌倉大仏は、鎌倉の仏像では唯一の国宝
- 境内には観月堂や与謝野晶子、星野立子らの歌碑も
- 日本遺産「いざ、鎌倉~歴史と文化が描くモザイク画のまちへ~」の構成資産
いかがでしたでしょうか。鎌倉を象徴する人気の寺院である高徳院の概要についてひととおりまとめましたが、お時間があればお出掛けされてはいかがでしょうか。
交通アクセス
江ノ電長谷駅から徒歩およそ7分
連絡先 | 大異山高徳院清浄泉寺 鎌倉市長谷 4-2-28 TEL:0467-22-0703 |
公式サイト | 大異山高徳院清浄泉寺公式サイト |
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参考文献
- 大異山高徳院清浄泉寺公式サイト
- 鎌倉観光文化検定公式テキスト
- 鎌倉観光文化検定公式サイト(鎌倉商工会議所)
- 深く歩く 鎌倉史跡散策 神谷道倫著 かまくら春秋社