鎌倉駅から小町大路を進んで材木座海岸に向かう住宅街には、比較的小規模ながらも由緒のある神社や寺院が点在しています。
ここでは材木座の寺院のひとつである妙長寺をご紹介します。
更新状況
- 2023年1月22 日:記事掲載
この記事の目次
妙長寺とは
妙長寺は、鎌倉駅から材木座海岸を目指して進み、水道路との交差点を超えた先の左手にある日蓮宗の寺院です。山号は海潮山(かいちょうざん)、1299年(正安元年)に日実により創建されました。
もとは材木座の沼浦(ぬまうら)にあったとされ、日蓮の四つの法難のひとつである「伊豆法難船出霊跡」の寺とされています。
こちらもCHECK
-
コケの名所はアジサイもよし ~妙法寺~
続きを見る
こちらもCHECK
-
江ノ電の目の前にあるお寺 ~藤沢市片瀬 龍口寺~
続きを見る
日蓮が伊豆に流される際に船頭は日蓮を「俎板岩(まないたいわ)」に置き去りにしましたが、偶然通りがかった漁師の弥三郎が日蓮を助けました。
その漁師弥三郎の子(一説には弥三郎本人)が開山の日実であるといわれています。
妙長寺境内散策
門をくぐって妙長寺の境内に入りましょう。拝観料は100円と書いてありますが、拝観受付はないので、寺務所の呼び鈴を押してお寺の方に拝観料を払います。
境内に入って右側に、台座部分の石に「日蓮上人伊豆法難記念」と書かれた大きな相輪があります。これは、大正関東地震で倒壊した鶴岡八幡宮の旧二の鳥居の一部を利用して1933年(昭和8年)に建てられ、その後事故防止のため相輪部分だけが取り外されて台座上に安置され現在に至っています。
その手前には、日蓮が伊豆に流される際に乗った舟の6分の1の大きさの石造模型も安置されています。
日蓮上人伊豆法難記念相輪や石造模型舟の隣りには、鱗供養塔があります。これは、鎌倉、逗子、三崎の漁師や漁商たちの手により1878年(明治11年)に建てられたもので、妙長寺が古くから庶民に親しまれてきた寺であることがわかります。
鱗供養塔の隣りには浄行(じょうぎょう)菩薩像があります。
浄行菩薩は法華経に説かれている4人の菩薩のひとりとされ、その名のとおり 浄い修行の菩薩とのこと。古来から参拝者は浄行菩薩の体を撫でたり洗ったりすることで身体の良くないところが少しでも治るようにお祈りしたとのことです。
妙長寺と泉鏡花
泉鏡花は明治時代の小説家。石川県生まれで本名は泉鏡太郎といい、代表作に「高野聖」「歌行灯」などがあります。
泉鏡花は1891年(明治24年)7月、8月の2か月間妙長寺に滞在しました。1898年(明治31年)に小説「みだれ橋」(のちに「星あかり」と改題)を発表し、妙長寺での生活を書いています。
乱橋(みだればし)
ご朱印
今回はご朱印はいただいていません。
鎌倉観光文化検定対策
鎌倉観光文化検定公式サイトに過去問の記載がある第12回(2018年度実施)以降の鎌倉観光文化検定(以下、「鎌倉検定」)2級および3級の出題の中から、圓應寺について、出題状況や傾向を検討します。※問題文は一部改変している場合があります。
2020年度・2021年度の鎌倉検定は中止となっていますのでご留意ください。
傾向と対策
第12回、第13回、第16回(第14回、第15回は中止)での妙長寺や泉鏡花に関する出題はありませんでした。それ以前には出題もありましたが、妙長寺と泉鏡花そしてその作品名を抑えておけば対応できると思います。
妙長寺のまとめ
- 妙長寺は、小町大路を材木座海岸方面に進み水道路との交差点を超えた先にある日蓮宗の小さな寺院
- 境内には日蓮の伊豆法難ゆかりの五輪や舟の石造模型など
- 明治の小説家である泉鏡花が2か月滞在しその体験を「星あかり」に記述
いかがでしたでしょうか。妙長寺の概要についてひととおりまとめましたが、もしも気になるようでしたらお出掛けされてはいかがでしょうか。
交通アクセス
鎌倉駅から徒歩およそ25分、JR鎌倉駅東口よりバス九品寺循環「五所神社」下車、徒歩3分。小坪行き「九品寺」下車、徒歩6分
連絡先 | 海潮山妙長寺 | 鎌倉市材木座2-7-41 TEL:0467-22-3572 |
公式サイト | 鎌倉市観光協会公式サイト(妙長寺) |
この記事が気に入ったらフォロー!
参考文献・関連サイト
- 鎌倉観光文化検定公式テキスト
- 鎌倉観光文化検定公式サイト(鎌倉商工会議所)
- 深く歩く 鎌倉史跡散策 神谷道倫著 かまくら春秋社