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鶴嶺八幡宮とは
鶴嶺八幡宮は、茅ヶ崎市浜之郷にある神社。創立は1030年とされ、源頼義が平忠常の乱鎮圧の際、京都の石清水八幡宮に倣い勧請したことに始まり、のちに源氏が現在の地に奉還したとされています。
その後、源頼朝が領地を寄進し、また、頼朝の命により大庭景義が社殿を修復するなど、源氏の篤い信仰を受け、蒙古襲来の際には戦勝祈願が行われました。
江戸時代には、朝恵上人が領主山岡氏の援助を受けて再興を果たしました。
国道1号線の大鳥居から参道へ
茅ヶ崎市内の国道1号線、千ノ川に掛かる鳥井戸橋付近に朱色の巨大な鳥居があります。ここがこの先764メートルにもなる長い長い鶴嶺八幡宮参道の入り口となります。
鳥居をくぐると、両側にマツが植えられた参道が続きます。江戸時代に三代将軍家光から社領七石を受けた記念に、南大門馬場の左右にマツを植えたのが現在に残る松並木の参道です。
この鶴嶺八幡宮参道は茅ヶ崎市の史跡に、松並木は茅ヶ崎市の天然記念物に指定されて保護されてきました。
この鳥居の近くには、歌川(安藤)広重も浮世絵に描いた東海道の名所、南湖の左富士があります。よろしければ下記のリンクからご覧ください。
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鶴嶺参道歴史ひろば
参道途中に馬頭観音像があり、その後ろが鶴嶺参道歴史ひろばという小さな公園となっています。ここは参道の整備に併せて設けられた広場です。
鶴嶺参道歴史ひろばにあるプレートには、1860(万延元)年に、皇女和宮が降嫁する際に備えて描かれた山岡家所蔵の絵図の一部が描かれ、当時の参道と松並木の様子を見ることが出来ます。
太鼓橋を渡って
先ほどの大鳥居をくぐって鶴嶺通りと交差するまでは、参道は舗装され周囲に住宅があり自動車も通行可能でしたが、鶴嶺通りを横断し太鼓橋を渡ると参道の幅は狭く砂利道となります。太鼓橋から先は神社の境内となり自動車は通ることは出来ません。
歩き進むと左右に池があり、天照皇大神宮と厳島神社の小さな祠があります。そこから先、神社の建物が見えてくると左手に石造物が見えてきます。
朝恵上人の碑の説明板には、社殿を再建し、参道と神社前の馬場にマツを植えて神域を保全整備した先人であり、その偉業を讃え、後世に語り継ぐためにこの碑を祭るということが書かれています。
朝恵上人の碑の隣りにある石は女護ヶ石という石で、女性の守護神として信仰されていた石神とのことです。
上の写真の右側に自動車の後ろ半分が映っています。ここが鶴嶺八幡宮の駐車場で数台の駐車が可能です。
鶴嶺八幡宮境内へ
鶴嶺八幡宮の大イチョウ
境内に入りまず目を引くのは右前方に見えるイチョウの大木です。この木は「鶴嶺八幡宮の大イチョウ」という名前で、木の高さは29メートルもあり、かながわの名木100選にも選定されています。
座敷わらしに会えるかも?
社殿でお参りを済ませたら、建物の周りをぐるりと回りましょう。
向かって左手にあるのは淡嶋神社、その両脇には針塚と祈願石があります。
社殿左わきには「座敷わらしの遊ぶ場所」があります。座敷「わらこ」は、「あなたが本来の純粋な自分に立ち返って、人生をもっと楽しみ、幸せや豊かさを感じられるように私が案内します」と言って子どもの姿で現れたそうです。
社殿裏側には、悪疫を退散するという鉾宮(ほこのみや)神社や鶴嶺稲荷神社、そして並び立つ2本のクスノキなどがあります。
ご朱印
ご朱印には、鶴嶺八幡宮印のほか、摂社の淡嶋神社・鉾宮神社、そしてイラスト付きの3種類のご朱印があります。
鶴嶺八幡宮のまとめ
- 鶴嶺八幡宮は茅ヶ崎市浜之郷にある源氏ゆかりの神社
- 茅ヶ崎市史跡の長い参道と茅ヶ崎市天然記念物の松並木が特徴
- 境内の大イチョウはかながわの名木100選に指定
いかがでしたでしょうか。鶴嶺八幡宮の概要についてひととおりまとめましたが、もしも気になるようでしたらお出掛けされてはいかがでしょうか。
この日、鶴嶺神社の後には近くにある「南湖の左富士と旧相模川橋脚」に立ち寄りました。よろしければ下記リンクを参照してください。
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交通アクセス
バス | 茅ヶ崎駅北口バスターミナル(5番線)小谷・古川今宿循環・西一宮行き 「鶴嶺小学校」下車徒歩2分 |
車 | 社殿に向かって左側の公園の前に「参拝者駐車場」あり |
連絡先 | 鶴嶺八幡宮 茅ヶ崎市浜之郷462 TEL:0467-82-6725 |
公式サイト | 鶴嶺八幡宮公式サイト |
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更新状況
- 2021年9月25日:記事掲載
参考文献
- 鶴嶺八幡宮公式サイト
- 神奈川県神社本庁鶴嶺八幡社
- 現地案内板